どうも、サラリーマンこあらです。
今日は、自分がこれまで人生の目標としてきた「金銭的、時間的自由の獲得」について、達成せず、現状が続いた場合のデメリットを考えてみて、また、人生の目標に進みたいという意欲が湧くように仕向けてみたいと思います。
現状が続いた場合のデメリットとは何か。
- 今の仕事のスケジュールに合わせる形でしか、自分の生活、自分の時間を調整できないため、自分にできることが大きく制限されてしまう。
- 自分の家族に長期的に介護やケアが必要になったとしても、仕事のスケジュールに合わせる形でしか時間を作ることができない。
- 常識の範囲内でしか、人生を楽しむことができない。
- 普通の人が体験できる現実的な範囲でしか、人生を楽しむことはできない。
- 普通の人が体験できる現実的な範囲以上に、家族や友人を楽しませてあげることはできない。
- 自分の気持ちに正直に生きることができない。
- 時間的に、金銭的に、必ず制約を強いられる。
- 時間的に、金銭的に、自分がやりたいことが制限され、本当に心からやりたいレベルでやることができない。
- やりたくない仕事、自分のためにならない仕事、無駄な仕事、納得できない仕事を、我慢してしなければいけない。
- やりたくない仕事、自分のためにならない仕事、無駄な仕事、納得できない仕事に自分の時間が奪われ、本当にやりたいことをする時間、家族との時間、自分にとって有意義な時間が削られる。
- 子どもたちに提供できる体験の機会が、大きく制限される。
- 時間的に、金銭的に制約を受けないレベルで、人生を楽しむことはできない。
- 自分の1日のスケジュールを、完全に自分でプロデュースすることはできない。
- 現在の仕事に、自分の人生の時間の大半を奪われることになる。
- 現在の仕事、現在の生活スタイルに合わせて時間を使うことになるため、世の中の大半の人と同じ生活スタイルで生活することになり、何かしようと思い立っても、渋滞、混雑、待機などの無駄な時間に、人生の時間を奪われ続ける。
- ただでさえ、仕事に1日の活動時間の大半を奪われている状態なのに、自分で調整できない無茶ぶりな業務を処理するために残業を強いられ、更に時間が奪われ、それが当たり前になっていき、疑問に思わなくなり、本格的に高齢になったとき、自分の時間の使い方、人生での時間の使い方に後悔するかもしれない。
- 人生を120%楽しむような生き方はできない。
- 自分が満足いくレベルの楽しさや思い出を、家族や友人に提供できない。
- 自分の家族に幸せを提供する程度のことしか手が回らず、もっと外側にいる、友人や知人、社会の人々の幸せにつながるようなことを、自分が満足できるレベルで提供することができない。
- 今の自分にとって時間的に、金銭的に許せる範囲でしか行動することができず、その範囲が限られているため、自分が満足できるレベルで行動することができない。
- 今、この瞬間を100%楽しんでいると言えない状況が、今後も続いていく。もっと行動できる範囲を広げて、楽しめる範囲も大きくしたい。
なんか、同じようなことを書いている感覚がありますが、とりあえずは、こんな感じです。
いまいち、ピンとくるような言葉が見つかりませんでした。
なんとなく書いてみるんですが、「自分の気持ち次第」というような内容が多く、金銭的に、時間的に自由になっていなくても、デメリットを消すことができそうな感覚になります。
金銭的、時間的自由が無いと、絶対的に何に困るのか。
何がデメリットなのか?
究極のところ、
- 今の自分の時間的制約、金銭的制約の範囲内でしか行動できない
ということなんだと思います。
そして、
- 時間的制約や金銭的制約が大きければ大きいほど、自分が自由に行動できる範囲は狭くなり、その狭い範囲内でできることでしか、人生を楽しむことができなくなる。
ということなんだと思います。
今も、ある程度大きな範囲で人生を楽しんでいる気はしますが、出来れば、もっと大きな範囲で、1度しかない人生を楽しみたいと思います。