どうも、サラリーマンこあらです。
今日から読み始めた書籍「メタ思考~頭のいい人の思考法を身に付ける」(澤円著)で、エイリアスという考え方がありました。
仕事をしている自分=アイデンティティといったように、特定の場所での自分が全てという考え方ではなく、それぞれの場所、それぞれの場面で、それぞれの役割を演じているという考え方。
特定の場所の自分が全てと考えてしまうと、その場所で批判されたり否定されたりしてしまうと、自分の存在価値が揺らいでしまう。
そうならないように?
そう考えるのではなく?
特定の場所での自分は、その場所での役割を演じている自分の複製でしかない。
こう考えることによって、より気楽に、より身軽に、立ち振る舞うことができる。
この考え方は、すごく大切だと思います。
でも。
じゃあ。
軸となる自分って、いったい、どこにいる?
それとも、
そもそも、軸なんて存在しない?
もしくは、軸を一つに絞ろうとするのが間違っており、全ての自分が軸であり、全ての自分を総合的に合わせたのが、自分ってこと?
というような疑問が湧いてきています。
特に、今、私にとって「人生で達成したい目標」が見えなくなっているのが課題であり、よりどころとなる目標や、それに挑戦するための軸となる自分がどこにあるのかというのが気になっているので、尚更、この疑問が頭をもたげてきます。
とはいえ、まだ書籍の序盤ですから、これに対する答えは、書籍を読み進めていくと、見えてくるかもしれません。
今のところ、自分の中では、人生で達成したい目標って無数にあるようなものではなく、ある程度大きな、最終目標的なものをイメージしており、その最終目標的な大きなものが、見えない状態なんですよね。
そのため、場面ごと、場所ごとの役割を演じる自分と、大きな最終目標達成のために努力する自分が、上手くリンクしない感じがします。
ただ、このようなことを書いていて気が付いたんですが、「人生で達成したい目標」というものの捉え方が自体、もうちょっと柔軟にしてみても良いかもしれません。
1時間あれば達成できるような小さな目標も、何年もかけて、やっと達成できるような大きな目標も、同じ人生の目標。
ちょっと、人生で達成したい目標という考え方自体、硬直化していたような感じがします。
そう考えると、今、私が感がるべきことは、目標ではなく、「どんな人間になりたいか」とか「どんな人生を過ごしたいか」といった、生き方についてなのかもしれません。