目標達成

同窓会というイベントからの影響

どうも、サラリーマンこあらです。

最近、来年の年始に中学校時代の同窓会を開催するという連絡を受けました。

私の場合、地元を離れてから中学校時代の同級生にはほとんど会っていない。

25年ぶりくらい?

地元のコミュニティから離れて久しく、正直、どんな状況になっているのか、全く分からない。

そういうイベントがあるというのを知った当初は、「面白そう!」と気分が高まりましたが、なんか、だんだんと、テンションが下がり続け、結局、行くのを辞めました。

移動だけで、月給の半分がすっ飛ぶ。

時間も、最低2日はかかる。

そこまでして、参加したいのか?と。

自分は、参加して、何がしたいのか?

別に、特別に会いたい人はいない。

地元の同級生に、会いたいと思ったことは、、、あるかも。

でも、その理由はイマイチ分からない。

当時の自分という人間が、今も幸せに生活しているというのを、見せたいから?

なぜ同級生に会いたいと思うのか、いまいち分からない。

そんなこんなを考えていると、参加意欲がどんどん低下してしまって、お金と時間を使って、どうしても参加したいと思えなくなってしまいました。

これも、最近のメンタル的な不安定の影響なのかもしれません。

思えば、人生の目標が不明確になっているな、と明確に感じるようになったのは、この同窓会の連絡を受けてからのような気がします。


同級生という、かつての友人たちの顔を思い出して、他人を明確に意識したから。

かつての友人たちがどんな生活をしているのか、気になってしまい、他人の人生を気にするような思考が生まれたから。

それと比較するように、自分の人生を意識するようになってしまったのかもしれません。


別に、かつての友人の今の状況を知ったわけではないので、羨ましいとか、妬ましいとか、輝いて見えるとか、そういう思いを感じた訳ではないんですけどね。

少なくとも、今、かつての友人たちに会った時、「活き活きとしている自分」を見せることはできないような気がしてしまいます。

幸せな生活をしているかというのであれば、文句なしに、仕事にも家族にも恵まれて、幸せ。

だから、友人たちに会って見せたいのは、「幸せな自分」ではない。

あくまで、かつての友人たちに見せたいのは、何か大きな目標に向かって努力して、その大きな目標を達成しているという、「活き活きした自分」なんだと思います。


同窓会のLINEグループに入っていたんですが、こういう気持ち的な変化というか、メンタルへの影響を感じてから、そのグループの中で、友人たちがメッセージをやり取りし、楽しそうにしているのを見ていたら、なんか居心地が悪いような感覚になってきて。

メッセージが入るたび、だんだんと何とも言えない苛立ちのような感覚が支配するようになり、非常に気分が悪くなってきたので、グループを抜けました。

見ていて気分が良くないものは、見なくても良いようにするのが一番かなと。


しかし、正直なところ、何がそこまで自分の気持ちをかき乱すのか、理由が分からない。

かつての友人たちの中で、自分が中心になりたかったのに、なれていなかったから?

自分が一番だという自慢がしたかったのに、そういう自慢ができないような気がしたから?

そのグループの中では自尊心が満たせないと感じたから?

同級生のコミュニティの中に、自分の居場所が無いように感じたから?

過去の友人たちに執着する理由は無いはずなのに、過去の友人たちのやり取りを見ると気分が悪い。

今書いた中で最もしっくりくるのは、「居場所が無いように感じたから」ですね。


居場所が無いと感じる集まりの中に、目的も無く、「同窓会だから」「同級生だったから」という理由だけで入っていこうとするのは、正直、キツイ。

だから、自分から逃げたんだと思います。

やはり、私という人間が求められているところで活動したい。

心から、そう思います。


そして、こういうことが頭の中でグルグルしているから、「今のままで良いのか?」「自分の居場所はあるのか?」という気持ちが生まれ、それが「人生の目標の無さ」に対する危機感を煽っているような気がします。

私自身の今までの経験や知識を整理しながら、これからどう生きるべきか、何を達成したいのか、目標は何か、を、じっくり、考えていきたいと思います。

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