どうも、サラリーマンこあらです。
今日も、昨日の記事の続きっぽい内容になってしまいますが、昨日の記事の最後の方で、テレビやゲームは、「宿題が終わってから」というルール自体を、撤廃してしまったらいいのでは?という考えに至ったんですが、それについて、真剣に考えてみました。
普通に考えたら、このルールは正しいと思う
まず最初に、この「宿題が終わったらゲーム」というルールについてですが。
「子ども テレビ 止めない」的なキーワードでネット検索すると、テレビやゲームとの上手な付き合い方として、必ずと言っていいほど、紹介されているテクニック。
そして私自身も、普通に考えたら、このルールは、正しいと思います。
このルールを決めることによって、
- ゲームがやりたい!
- ゲームをする
- そのままゲームがやめられない
- 宿題に手を付けないままになる
- Bad End!!
という悪循環を、
- ゲームがやりたい!
- でも、ゲームをするためには、宿題を終わらせないとダメ
- だったら、宿題をササっと終わらせよう!
- 宿題を処理
- 無事、終了したので、晴れやかな気分でゲームできる!
- Happy End♪♪
という素晴らしい循環に改善してくれる!ハズ。
言い方を変えると、「目の前にぶら下がったニンジン欲しさに走る馬」みたいな状態です(笑)
何もおかしくない。
何も不思議ではない。
ご褒美を設定して、そのために頑張る!という、誰でも実践したことがある方法。
すごく理にかなったルールに見える。
このルールを設定することによる弊害
ですが、このルール、よくよく考えると、明らかに問題がある。
このルールって、「ご褒美を決めることによって、嫌なことを頑張れるようにする」ルールですよね?
「ご褒美を決めることによって、嫌なことを頑張れるようにする」ルール。
もう一度、よく見てください。
「ご褒美(=ゲームできる)を決めることで、嫌なこと(=宿題)を頑張れるようにする」ルール。
・・・。
・・・。
お分かりいただけたでしょうか?
そう、「宿題」を「嫌なこと」と、決めつけている点。
子どもに対して、「宿題は嫌なことだ」と、明確に印象付けるルールになっているんですよね。
逆に考えると、もっと分かりやすくなります。
「嫌なことをしないと、ご褒美がもらえない」ルール。
つまり、
「嫌な宿題を終わらせないと、やりたいゲームができない」ルール、なんです。
若干、卵が先か鶏が先か?みたいな話でもあるんですが、このルールを決めることによって、
- 宿題は、嫌なもの
- 宿題は、自分がやりたいことを妨げる障害物
- 宿題は、自分の自由を阻害する邪魔者
という、宿題に対する最悪な印象を決定付けてしまっているわけです。
勉強を自ら進んでやろうと思うか?
では、もう一度、考えてみましょう。
この「宿題が終わったらゲーム」というルールを設定することによって、子どもは進んで勉強をやろうと思うでしょうか?
確かに、このルールを決めることによって、「宿題を処理する」子どもは、一定数、確保できそうな気がします。
だって、宿題が終わらないと、やりたいゲームができないわけですから。
やるしかない。
でも、宿題や勉強に対するイメージは、悪印象になること間違いなしです。
そんな状態で、気持ちよく勉強できるでしょうか?
答えはNO!
つまり、このルールを設定することによって、
- 勉強をしない子ども → 勉強を嫌々する子ども
という変化を起こすことは可能ですが、
- 勉強をしない子ども → 勉強を進んでする子ども
に変化させることは、100%不可能。
そう、100%不可能です。
解決策はあるのか?
じゃあ、どうすれば良いんだろうか?
残念ながら、「勉強を進んでやる子ども」にする方法は、まだ分かりません。
分かりません、が、これだけは言える。
「子どもがやりたいこと」と「勉強」を対比させるようなルールは、設定しちゃダメ。
これは絶対、ダメ。
さっきも書きましたが、「子どもがやりたいこと」と「勉強」を対比させて、アメとムチみたいな状態にしてしまうと、間違いなく、子どもは勉強が嫌になる。
もし、「子どもがやりたいこと」ばかりやってしまって勉強に手が付けられないのでは?と心配になるのであれば、「子どもがやりたいこと」に時間制限を設定したり、時間を区切ったりして、勉強する時間を確保できる工夫をすれば良い。
「子どもがやりたいこと」と「勉強」。
それはそれ、これはこれ、の対応で良いはず。
わざわざその二つをリンクさせる必要は無い。
陰と陽みたいな印象を与える必要は、全く無い。
これが、私の中での結論です。
あとは、夫婦でこの考え方を共有できるかどうか、です(笑)